思うところがありまして・・・

山口の母子殺害事件の上告審判決報道を見ていて、どうしても呟きたくなったんです。
普段は他の事にはあまり関心もないので、ニュース等を見ても思った事や感じた事は公開等しないのですが、今回はちょっと違かったんです・・・。


※最初に・・・自分なりの結論など持っていませんしただのぼやきです。


まず、自分には被害者のご遺族の悲しみは計り知れず、察するしかないと思っています。
そして、被告や被告のご家族の思いも察するしかない状態と自己判断しています。


自分が遺族だったら、憤るのはもちろん怒り狂い感情的に被告を殺そうと計画すると思います。
数年前の報道で感情的に過激な発言をしていた旦那さんの思いも理解できます。感情的になって当然です。
でも反対に、自分は被告のように犯罪は犯さなかったけれど、思春期の性に対する感情はわからなくも無いです。
ただ、どんなことがあっても法やルールを犯す事は当然×だ、絶対×だと思います。


裁判所の考え方が被告の公正を重視し被害者は証拠というものから被害者やそのご遺族の思いを考慮する方向に変わってきた事はある意味良かったと思えます。
報道がご遺族を英雄のように扱い、その後、被告の家族で中和するような事をするのも、自分と同様に罰するべきなのかどうかを判断できないからだと思っています。
この事件が7年前ではなく、残忍なひどい事件が多発している現在に起こっていたら、今と同様の状態になっていたのか?と考えています。


つまり、何をどうすれば正しいのかなんていう結論なんかは到底だせない問題になっていると思うんです。
感情で取材を受けようが、一時の思いでおちゃらけようが、報道の正義が変わろうが、裁判所の判決がどう出ようが、所詮、人が判断している以上、その時生きている、そして生きていく人達が出す結論だから本当に正しいのかどうかなんて誰にもわからないと思うんです。


でもね、そんな中で一つだけ確信できる、確信していることがあるんです。
それは・・・・・

法律にのっとって行動したとしても、犯罪になる行動をしたとしても、復讐は所詮復讐でしかなく、復讐の憎悪は絶対に新たな憎悪しか生みださない

ということです。
これが「言いたかった」「ぼやきたかった」「呟きたかった」だけでした。
m(_ _)m


もし、自分が同じような立場になってしまっても、復讐の憎悪を自分の力に変えて生きていける人になりたい・・・。